2015年8月17日 夏祭りに参加しました。

 もう2週間以上前になってしまいましたが、8月1日地元の夏祭りに参加しました。演目は今年も「腹踊り」。パラパラの拍手しかもらえなかったのは、たぶん踊りのほうが準備不足だったからでしょう。来年はさらにがんばろう。手伝ってくれたスタッフ、友人の皆さん、今年も本当にありがとうございました。

2015年6月13日 がばいばあちゃんの話

 がばいばあちゃんといっても、佐賀のばあちゃんではない。島田洋七のばあちゃんの話ではなく、花野のすごいおばあちゃんの話である。わざわざ本なぞ読まなくても、身近にすごい人はいるのである。原石のまま、いくらでも転がっているのである。

 鹿児島は一週間ほど前に梅雨入りし、今朝も激しい雨が降っていた。花野のがばいばあちゃんは、その雨の中をやってきた。ただやってきたのではない。単車に乗ってやってきた。ただ単車に乗ってやってきたのではない。田植えをしたその足でやってきた。ただ田植えのあとにやって来たのではない。検診を受けるために来たのである。

 すなわち、一年のうち、いつ受けてもいい検診を受けるため、わざわざ土砂降りの今日という日に、田植えを一か所済ませ、次の田んぼに行く前に、単車(ホンダのカブ号)を走らせやってきたのである。

 だから、プールから上がった小学生のように、全身びしょ濡れである。ただ違うのは、着ているのが水着ではなく作業着で、着ている人が小学生ではなく80歳前のおばあちゃんであるという点である。わが目を疑う。

 足元に目をやると、はだしである。開業して一年ちょっと経つが、はだしのまま診察室に入ってきた患者は初めてである。ウェルカム。

 歩くたびに足跡が付く。全身、びしょ濡れだからである。どこに寄ったか、すぐわかる。墨汁でなくて、よかった。

「そんなびしょ濡れになって・・・。かえって風邪をひくよ!」などとは、思わない。いや、思えない。あなたもきっと思わない。

 なぜなら、この方、小柄で痩せてはいるが、もともと顔は陽に焼けて真っ黒で肌艶もよく、そもそも病院にも縁がなさそうなかただからである。当院にも、骨粗鬆症の薬と湿布をもらいに来るだけである。他はなーんも悪くない。内臓なんか絶対悪くない。糖やコレステロールなんかも絶対たまっていない。ただ少し口が悪いだけである。僕以上に、ため口をきく。

 たぶん、本当は骨も硬いのである。魚だって丸ごと食べてしまいそうなかたである。ただ、前医からの、よろしくとの紹介状を持参してきたので、骨の薬を出さないわけにいかなかった。「湿布も10パック頂戴ね。前の先生は、そうしてくれてた」だって。はじめて会った日から、遠慮がなかった。

「湿布は8パックじゃなかったの? 紹介状には、8パックって書いてあるけど」と、キビシク問いただすと、

「いいや、10パックなのっ。最後の月が8パックだったけど、それまではずっと10パックだったのっ」。何を言ってもムダのようである。

 さて、おばあちゃん、診察室に入ってあと、立ったままでいる。椅子を勧めるが座ろうとしない。「いや、座らないよ。椅子が濡れるから」だって。すでに、クリニック中、床が濡れてますって。妙なところで気を使うかたである。湿布は10パック要求するくせに。今日の検診だって、いきなりやってきて、「せっかくだから、先生、調べられるのは全部調べてね」と言ってはばからないかたなのに。「椅子が濡れると申し訳ないから」だって。おもしろいね。

「遠慮しなくていいよ」と、座ってもらい、検診を始める。診察、検査が一通り済んで帰るとき、今度は、「ついでだから、今日、骨の薬ももらっていこかい。もう、残りがなかったから」だって。ありがたいねぇ。「朝ごはんも食べてきてないし、今、ここで、飲んで帰ろかい。看護婦さん、水持ってきて」だって。まだ十分濡れたままの服と体を、クリニックのタオルでごしごし拭きながら、お嬢さんたちに指図している。そして、仁王立ちして、薬を飲み始めた。右手にコップ、左手にバスタオルと湿布10パック。

 しかし、この骨粗鬆症の薬は、週に一回だけ飲む薬。朝食前に一錠を飲み、飲んだら、30分は横にならず、食事も控えるようにと、結構飲み方に注意が必要な薬なのである。そんな高貴な薬を、土砂降りの中、田植えをハシゴするその合間に、仁王立ちで飲んでよいものだろうか。この極めて珍しいケースは、いつか学会で症例検討してもらわねばならない。

「先生、結果はいつわかるんかね」

「おばあちゃん、検診なんか受けなくても、あなたは充分元気だってわかるよ。たぶん、ぼくより、長生きする」。僕は太鼓判を押した。

「ははは。おもしろかことを言う先生だねぇ。じゃあ、次の田んぼに行くから」と、がばいばあちゃんは、また、土砂降りの中、単車に乗って去っていった。これからもしばらくは、毎日、田植えが続くそうである。

 

2015年6月3日 新聞を活用した認知症予防法。

 認知症の予防にはどんなことをしたらよいでしょうかとよく訊かれます。まじめなかたは、脳トレの類いの本をやるとよいでしょう。今日は、まじめというほどではないかた向けに、手軽にでき、しかも認知症予防に抜群の効果が期待できる方法をお教えしましょう。

 それは、どの新聞にもある読書欄の「週間ベストセラー」ランキングを活用するものです。さっそくはじめてみましょう。

 今週日曜日の新聞では次のようになっています。

「週間ベストセラー」(鹿児島/ブックスミスミオプシア調べ5/27)

1. ラプラスの魔女 (東野圭吾)

2. 聞くだけで自律神経が整うCDブック(小林弘幸)

3. 火花(又吉直樹)

4. 家族という病 (下重暁子)

5. フランス人は10着しか服を持たない (ジェニファー・L・スコット)

6. 一〇三歳になってわかったこと (篠田桃紅)

7. イラストでときめく片づけの魔法 (近藤麻理恵)

8. おおきな木(シェル・シルヴァスタイン)

9. 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話(坪田信貴)

10. 沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ! 日本の医療〉(堤未果)

 やり方は簡単です。これらの題名の全部または一部を二つ、三つつないで、「斬新な」題名を作ってみる、それだけです。一人でやるのではなく、自宅で完成させた作品を、もよりのデイケア、もしくは老人会で合評するという点がポイントです。

 では、はじめてみます。まずは、シンプルな例から。

 56を結びつけてみます。「一〇三歳になってわかったこと~フランス人は10着しか服を持たないと」。今さらどうしようもないという感じがしますが、深みのある題名になりました。

これに、9をつけるとどうなるでしょうか。「学年ビリのギャルが一〇三歳になってわかったこと~フランス人は10着しか服を持たないと 」。ちょっと意味が変わってきそうですね。

54に変えてみましょう。「学年ビリのギャルが一〇三歳になってわかったこと~家族という病」。グレてたのには理由があったんですね。

「一〇三歳になってわかったこと」という本は、どんな内容なのか知りませんが、一〇三歳というのはやはりインパクトが強いので、いろんな題名に使えそうです。

「おおきな一〇三歳」。なんでしょうか。アントニオ猪木氏など、行けそうですね。

「一〇三歳でときめく片づけの魔法」。早く使わないと、時間がないぞお。

「フランス人は一〇三歳しか服を持たない」。ほかの人はどうしてるのでしょう。まちがっても、「一〇三歳は10着しか服を持たない」と作ってはいけません。

「沈みゆく一〇三歳〈逃げ切れ! 日本の一〇三歳〉」浮き輪を忘れないでね。

「一〇三歳という病」いや、充分がんばりました。

「一〇三歳の火花」。人間の業でしょうか。

「聞くだけで自律神経が整う一〇三歳」。長寿なので、そうかもしれません。

「学年ビリのギャルが一〇三歳で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」。びっくりして福沢諭吉が生き返りそうですね。一〇三歳で現役合格というのは矛盾しているようですが、細かいことは気にしないルールです。あまり細かい方は、認知症が進むのが早いです。

「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」は映画化もされ私も観ましたが、結構良かったです。この本の題名も印象的なので、いろいろ使えそうです。

「学年ビリのギャルが聞くだけで自律神経が整うCDブックで偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」。そんな本があるなら、私もほしい。

「ラプラスの魔女が1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」。東大でも合格してたかも。

 その他、いくつか作ってみましょう。

「おおきな木になってわかったこと」。桃じゃなくて、桜だったんだと。

「火花になってわかったこと」。短気は損気だと。

「家族という病になってわかったこと」。もはや、これは哲学の本でしょうか。

 以上、どうでしょうか。たった10個の題名ですが、組み合わせることで、いろんな楽しい風景が浮かんできます。

 さあ、みなさんも日曜日は鉛筆持って、週間ベストセラーを活用した新作題名作りに格闘し、月曜日からの合評会に備えましょう。認知症の心配など全くいらなくなります。

 

2015年5月19日 三国一の親不孝者

 昨日は、母の誕生日であった。昭和9年生まれであるから、80うん歳である。小さなケーキを用意して食事会をした。食事の前に、ビデオカメラを回し、娘に一言、お祝いの言葉を述べてもらう。「おばあちゃん、お誕生日おめでとう。いつまでも元気でいてください」。それはそうなのだが、中学三年なのだから、もう少し付け加えてもらえないものだろうか。そう言いたかったが、無理強いしても時間だけたちそうな気がしたので、母のほうにカメラを回し、「では、本日主役のお母さん、一言どうぞ」と僕。「あら、私も言うの、ほほほ」と、うなずいている。この、「ほほほ・・」と言って、うんうんうなずくのが、ここ数年、毎年のことである。「ねぇ・・」と言って、またうなずく。なにが、「ほほほ」で、なにが「ねぇ」なのかわからないが、本人には、意味のあることらしい。

しかし、次に出てきたのは予想外の言葉であった。「なにか、ひとこと言おうと考えていたんだけど、さっき息子に叱られたから、ねぇ・・・・、何だったか忘れてしまった」。たしかに、自分が主役なのに、やや元気なし。目元も若干うるませている。「しまった・・・」。ついさっきあった出来事が、脳裏によみがえる。

実は、昨日は帰宅早々、「録画したのがうまく再生できないから、あなた、また見てみてくれない?」と、ブルーレイデッキの点検を母に頼まれたのである。前日も同じことがあり、見てあげたばっかりだったので、「また映らないの? 使い方が悪いんじゃない?」などと、「誕生日」なのに、「叱って」しまったのである。

本当は、80を過ぎた人を叱ってはいけないのである。これまで十分がんばってきた人たちだからだ。多少、言動に歯がゆい面があっても、大目に見るべきなのである。患者にも、そう接するようにしている。しかし、自分の身内相手となると、それができない。大目に見ず、「叱って」しまったりするのである。「誕生日」なのに。

今回は、前日と違い、なぜうまく録画再生できないのか、原因究明は意外と難航し、時間がかかった。録画したものの再生ができないばかりか、テレビ番組も見れなくなっている。デッキのリモコンのどのボタン押しても画面まっ暗である。これは一大事だ。デッキをつないでいる「入力1」からの出力がまったくなされていなかった。買って半年にもならないのに、これは、普通ありえないことである。しかも、made in Japanである。液晶のシャープである。(テレビは)亀山ブランドである。すばらしい製品のはずだ。しかし、資本金を1%以下に減らして急場を凌ごうと画策した会社でもある。きっと罰が当たったのである。末端の製品に。いい迷惑である。

いろいろ調べてみて「入力1」の回路がダメになってると踏んだ僕は、コードを「入力2」に繋ぎなおしてみた。すると、「おお」。すべてが解決したのだ。電気屋さん並の読みである。「入力1」をはずし「入力2」を使ってみる。簡単そうで、これがなかなかできないことなのだ(ほんとかよ)。自分で自分をほめてやりたい。いずれにしろ、これでおいしいケーキが食べれる。しかし、この間30分ちかく、「へんな使い方をしたんじゃないの?」などと、不安げに見守る垂らちねの母に、小言をいっていたのだった。

それで、記念すべき食事会の冒頭のあいさつで、しょんぼりした姿を撮らざるを得なくなってしまったのである。80歳越えてるから、母も、カメラを向けられてるのに、「息子に叱られて」などと、発言に遠慮がない。撮らなきゃよかったと思うが遅い。母は、消え入りそうな声であいさつしていたが、最後に一言、「次の目標は、米寿まで、ボケずにいることです」と元気に締めくくった。いやー、ほんと、本日は失礼しました。

教訓1・・・誕生日には徹頭徹尾やさしくする。→そうでないと、変な記録が残ることあり。 

教訓2・・・80過ぎの年寄りより、一流メーカーのほうが間違っていることもある。→思い込みは危険。記念日が台無しになる。

 

2015年2月1日 僕も年とったか・・・・。

 今日、勉強机にうつぶせになり、昼寝していた時である。上半身がズズズッと机からズリ落ちていき、ある限界点を超えたのだろう。急にどさっと上半身全部が床まで落ち、びっくりして目が覚めた。ややムチ打ちっぽくなかったが、幸いけがはない。一瞬何が起こったのかわからなかったのだが、上記のごとくとわかると、苦笑いせざるをえなかった。

この時は、昼寝にもかかわらず、夢、しかも怖い夢を見ていて、ズリ落ちたのはそのせいだろう。夢の中では、不気味な若い男が、クリニック及び僕に危害を加えようと、物陰から、こちらをうかがっていた。それに気づいた僕が、「おまえ、そんなことさせないぞ。待て!」と、逃げようとする男を追いかけようと体を動かしたとき、本当の体まで動いてしまい、机からズリ落ちたと思われる。

普通のまっとうな体力のある人間なら、夢につられて現実の体も動くということはないはずである。少なくとも、僕にはこれまでなかった。しかし今日は、床まで一直線であった。年は取りたくないものである。

なお、こんな夢を見てしまったのは、昼寝の直前、後藤健二さんが「イスラム国」に虐殺されたニュースを見たからと思われる。

 

2015年1月27日 おばあちゃんと山川日本史。

 今日は、80歳過ぎのおばあちゃんのところに往診に行った。腸炎で近くの病院に入院していたのだが、退院後も体調が戻らず食事が少ししか摂れないとのことでの往診依頼であった。「さて、どんな患者さんなんだろう・・・」と、初めての診察のときは、いつもウキウキする。

その家に伺ってみると、おばあちゃんは、一階中央の広い部屋の真ん中に置かれたベッド上で、静かに横になっていた。色白の品のよさそうな女性で、「こんにちは」とあいさつすると、やや力ない笑みを浮かべ、うなずいた。たしかに、まだ本調子ではなさそうである。

娘さんから経過を訊き、一通り診察をした後、ひとまず今日は、点滴と内服薬を処方することにした。看護師が点滴の準備をする間、部屋を少し見渡してみる。部屋の隅にアップライトピアノがあり、その上に、無造作に山川出版社の日本史の教科書が置いてある。高校の教科書なんて、目にするのは何十年ぶりだろうか。しかも、自分もお世話になった山川の歴史教科書。あのころは、社会科の授業など、息抜きの時間で、まじめに勉強せず、実際、世界史の試験では、学年550人中、549番ということもあったが、人生も半分以上すぎると、そんな科目の教科書でも、懐かしく、かつ、いとおしく感じられるから不思議だ。

許しを得て、教科書を手にしてみる。薄いけど、破れにくいしっかりした紙を使っているからであろう、厚さの割にはずっしりと重い。ぱらぱらとめくると、たくさんの写真と文章で埋まり、隙間もない。「うーん、山川の日本史だ」と、妙に納得した。

しかし、なぜ、おばあちゃんが療養している一階のこの部屋に教科書が置いてあるんだろう。不思議に思い、奥さんに訊いてみると、「娘がね、自分の部屋で勉強すればいいのに、時々、この部屋に降りてきて、本読んだりしてるんですよ」と、苦笑いし教えてくれた。

ほう、三世代で住んでる中には、そういう家族もあるのか。僕は、バレーボールの県代表でもあるという、活発な高2の女の子が、あぐらをかき、片手に教科書、片手にスナック菓子など手にしてる様子を勝手に思い浮かべた。菓子をポリポリ食べながら、教科書に目をやり、「ねぇ、おばあちゃん。西南の役の時は、西郷さんも大変だったんだねぇ…」などと、投げかける。昭和初期生まれの割には、高学歴のおばあちゃんのほうも、「そうねぇ、大変だったんだろうねぇ…」ぐらいは返事を返す。大事なのは、やり取りの中身ではなく、やり取りがあるということだ。

この家族には、まだそれがある。それが何よりもの薬である。このおばあちゃんの体調は、きっとよくなるだろう。その思いを強くしながら、クリニックに戻ることであった。

 

2015年1月22日 もったいなかった話。

 今日は仕事の後、講演会を聴きに行ってきた。講演会といっても、「web講演会」といって、ホテルの会議室で、東京から送られてくる映像をプロジェクターでスクリーンに映し出し、それを私たち田舎者の医者がありがたく拝聴するというものである。こういうweb講演会なるものは、ふつうインターネット環境さえあれば、職場でも家でも観れるものであるし、実際、ほとんどそういう形で視聴するのであるが、なぜか、時々、わざわざホテルなどに視聴者を集めて、そこでしか観れないというという方式をとることもある。仕事で疲れている我々としては、いくら田舎者といえども、いい迷惑である。しかも、今夜の講演会は、わずか30分の物である。わずか30分の講演を聴くために、わざわざ遠くまで出かけなければならないのだ。

「そんなに不平があるなら、行かなきゃいいじゃないか」と、あなたは言うであろう。そう、まさに、そうなのだ。行かなきゃいいのだ。しかし、「先生、22日のweb講演会、都合よかったら、よろしくお願いします」と、日ごろお世話になっている方に言われていたので、行ってみることにしたのである。チクショー。

車を飛ばして到着した時は、すでに定刻を数分過ぎており、10数名の中年から高齢の医師が、配られた弁当を食べながら講演を聴いていた。

「ほう、今夜は、弁当付きであったか・・・・」。わざわざ出かけてきたのも、まったくの損というわけではなくなったので、急に気が軽くなった。講演のテーマは高脂血症の治療薬についてであったが、こうなってくると、弁当のほうが気になり、「そこのおねえさん。早く、僕の分の弁当も持ってきてよ」と言いたくなる。その、頼りのおねえさんは、すでに弁当を食べている医師たちに、ゆっくりとお茶などを配ったりしている。

「他人(ひと)のお茶より、自分の弁当」である。早く自分の分を確保したいのだが、なかなか持ってこない。まさか、もう弁当なくなっちゃったというんじゃないだろうね。「すみません、10人分しか用意してなかったもので・・・・」なんて、憲法に違反するようなことは言わないだろうね。ましてや、今日の講演の主催者は、日本を代表する薬剤メーカーである。10人分しか弁当用意しないんだったら、なぜ40人は入れる部屋でやっているのだ。なぜ、パンフレットだけは、20人分以上、置いてあるんだ、なぜだ、なぜだ! とタギった頭の中で、ぐるぐる考えていると、ようやく、おねえさんが、僕の机にも弁当を持ってきてくれた。その間、3分ぐらいであったろうか。弁当を待つ時間は、永遠のように長く感じられた。

ほっとして弁当を眺めてみると、これがまた、えらく大きいではないか。碁盤のように大きい弁当が、しかも、二段重ねになっている。「二人分なのか?」今夜は参加者が少ないので、気をきかせて二人分持ってきてくれたのだろうか。いや、いくらなんでも、それはないだろう。重箱みたいな容器で、持って帰れるものでもないから、まさか、「余ったから、二人分どうぞ」ということもないだろう・・・・。そんなことしたら、長老の中には、「バカにするな!」と、かえって怒り出す者も出かねない。かといって、「先生って、ステキだから、倍あげちゃう」ということも、僕の外見からしたら、ありえないことである。では、なぜ、二人分も・・・・。

まあ、開けてみたらわかると開けてみたら、一段目と二段目は別々のおかずが入っており、「なるほど、やはり、そうか。たしかに、そうだよね」と、我ながら、欲深さに恥ずかしくなった。

半分ほっとし、半分かくっとなったが、しかし、その中身を見て、また驚いた。刺し身だの角煮だの天ぷらだの、いろいろ入っているのだが、それぞれがおいしそうなのであった。いつも、質素な食事で我慢してくれている妻や子供に申し訳ないと思われるほど、胸躍らせる、尊い内容の品々である。

「これは、久々にすごい。弁当であるのが、不思議なほどだ。ああ、時間がないのがもったいない」。

そう、もともと30分の講演会。遅れてきたので、残り20分もない。これほどの質と量を兼ね備えた食事を、そんな短時間で決着つけないといけないのか。主催者は、何を考えているんだ。

「こりゃ、講演なんか聴いているヒマはない。先を急がねば」。僕は、江戸に急ぐ吉田松陰のように、わき目も振らず箸を動かせたのだった。周りを見れば、他の医師たちも、スクリーンなど見る余裕もなく、ひたすら、大量のおかずと格闘している。主催者は、何を考えていたんだ!

サーモンもおいしい。豚の角煮もおいしい。ステーキもおいしかった。スクリーンでは、「本日のまとめですが…」などと講師が言っている。まとめてもらうのはまだ早いぞ。まだ、天ぷらもフルーツも残っているのだ。

僕はメロスのように走った。力の限り走った。そして、間に合った・・・・。

周りを見ると、皆、間に合ったようだ。老いも若きも皆、安どの表情を浮かべている。卒論を提出した大学生のようなスガスガしい顔をしている。「本日は、お忙しいところ、当講演会をご清聴いただき、ありがとうございました…」。遠くで、そんな声がした。

結局、今夜の出来事はなんだったのだろうか。ハンドルを持ちながら考えた。講演会に参加したつもりが、行きと比べて、一つの知識も増やすことなく、一つも賢くなることなく帰りの運転をしている。一度しかない人生なのに、こんな無駄は許せるのであろうか。

いや、許されるのである。今年のモットーは、「何事も、プラス思考♪」である。「今夜は、おいしいものを、ホテルに食べに行くのが目的だったのだ」と思うことにしよう。ぼくは、ゲップしたくなるのをこらえながら、にんまりと運転を続けるのであった。

 

11月30日 第七回「笑おう会」開催しました。

 昨日11/29(土)、約二か月ぶりに、恒例の「笑おう会」を開催しました。    

 ろくに宣伝してない割には、多くの方に来ていただき、自分でもどうしてなのか、よくわかりません。わかりませんが、とにかく、ありがたいことです。

 今回は、鹿児島市立川上小学校の吹奏楽部のメンバーが来てくださり、元気のよい演奏を披露してくれました。同部は、市内でも有数の実力校で、大所帯なのですが、ウチのチンケなクリニックに全員が参集すると、お客さんの座る場所がなくなってしまうので、打楽器を除く、木管、金管楽器による演奏がおこなわれました。

 身近で聴く吹奏楽、いやー、小学生だけど、迫力ありました。住民の方々も、目を丸くし、身を乗り出して聴き入っておりました。この企画、大正解で、私も鼻が高かったです。

 引率の先生が、要所要所で、楽器や曲目の紹介もしてくださり、皆、うんうんうなづきながら聞いておりました。

 皆さん、木管楽器と金管楽器の違い、知ってました? たとえば、フルートやサックスなどは、金属でできてるのに木管楽器に入るんですよ。さて、なぜでしょう? 答えを知りたい方は、当院までお越しください。病気は治らなくても、知識は増える診療所です。サックスが、人名だったのも、意外でした。そういえば、オリバー・サックスという人もいますな(「レナードの朝」の原作者)。楽器の呼び名になると、それこそ、永遠に名が残りますね。100年後、サッチャーやオバマの名は忘れ去られていても、サックスの名は現役で使われていることでしょう。

 児童のすばらしい演奏を聴いていただいた後、後半は、わたくしの「冬に役立つ漢方」話でした。例によって、「ヤブは引っこめ!」等々の遠慮ないご声援のもと、時間を20分以上もオーバーして、演説させていただきました。「内容に乏しいうえ、時間は守らない」という真摯なご指摘については、次回以降に生かしていきたいと思います。

 というわけで、川上小の児童の皆さん、来てくださった住民の方々、手伝ってくれたスタッフの方、今回も本当にありがとうございました♪


9月28日 第六回「笑おう会」開催しました。

 昨日9/27(土)、恒例の「笑おう会」を開催しました。すっかりなじみになった患者さま方に加えて、昨日は、隣の団地からも、初めての方々が来られたのはありがたいことでした。

 昨日は、「認知症」という、やや硬いテーマ。しかも、コントなどはせず、90分、ビデオを混ぜながらも、まじめな解説で通しました。ややシリアスな出し物になった割には、患者さまも、最後まで、身を乗り出して聞いてくれて、私も、驚くほどでありました。

 認知症には、記憶障害、見当識障害といった中核症状と、徘徊、暴力、妄想といった周辺症状があります。特に、周辺症状のほうが、家族を悩ますことになります。

 家族にとってみると、なぜ、そのような理解に苦しむ行動をとるのかわかりません。しかし、そのような行動をとるようになったのには、「理由」があるのです。それは、本人が抱くようになった「不安」な気持ち。

 すなわち、「周りと、うまくつながっていない」という「不安」が、徘徊や妄想といった行動・症状に結びついているのです。ですから、周囲の人間がまず行うべきことは、本人を「安心」させてあげること。認知症治療のキーワードは、「安心」であるようです。

 昨日の「笑おう会」では、そのことを、皆で学びました。観に来てくださった住民の方、手伝ってくれたスタッフの方、今回も本当にありがとうございました。

8月31日 「笑おう会」開催しました。

 残暑厳しい8月最後の土曜日、第五回「笑おう会」を開催しました。今回は二部構成で、第一部「骨粗しょう症」について、第二部はスタッフ 対 地域住民の方代表によるクイズ対決というものでした。

 骨粗しょう症については、単に医学的な説明に終わるのではなく、予防のための運動などを、実際に観客にその場で試してもらいました。

 クイズのほうは予想通り、高学歴のかくしゃくとした面々で編成された住民チームが、わがスタッフチームを圧倒しました。参加してくださったM氏、U氏、H氏、ありがとうございました。また、最後まで熱心に声援を送ってくださった観客の方々、本当にありがとうございました!

8月10日 夏祭りで「腹踊り」やりました。

 先週末、地域の夏祭りがあり、当クリニックも飛び入り参加させていただきました。初出演ということで、何をやろうか迷ったのですが、出演の許可が出たのが数日前で、ほとんど検討する時間もなく、「えーい」と、インパクトのある、非重要無形文化財「かごしま腹踊り」をすることにしました。準備の合間合間に診療をし、じゃなかった、診療の合間合間に準備をし、なんとか本番に間に合いました。

 当日は台風の余波で雨が降ったりやんだり、出番の時は降らずにすみ助かりました。舞台に向かう道すがら、中学生には後ろ指を指され、小学生は金魚の糞のように付いてきて、追っぱらうのにひと苦労。乳飲み子は「うえーん」と泣き出し、母親たちは「あんな大人になっちゃだめよ」と子供らに言いきかせています。

 いよいよ舞台に上がると、「ひっこめ、やぶ医者!」「薬、効かんかったぞ、金返せ!」「そんな腹して、それでも医者か!」「地域をバカにしとんのか。ちったー、まじめにやれっ!」などと、数多くの熱烈な声援をいただき、勢い、演技にも力が入りました。

 よほど物珍しかったのか、当初、遠巻きに見ていた人々も、徐々に舞台そでに集まってきて、時折指さしながら、腹を抱えて笑ってくれました。赤子も泣き止みました。はい。高度なユーモアなどではなくとも「ただ笑う」というのも、時にはいいものなのではないでしょうか。ともかく、診療の合間にコツコツ準備した甲斐がありました。

 来年も誘われたら出させていただこうかとも思いますが、その後、町内会長とは連絡がとれません。もしかして、当クリニックを誘った責任をとらされているのでしょうか・・・・。

「あの娘とスキャンダル」で踊る♪
「あの娘とスキャンダル」で踊る♪

7月19日 第4回「笑おう会」開催さる。

開業三か月半しかたたないのに、早くも四回目の「笑おう会」を開催している。「あんた、いったいいつ仕事してんのぉ」という感じだが、「笑おう会」は仕事より大事な、もとい、仕事と同じぐらい大事なイベントであるので、毎月、欠かすわけにはいかない。

今回は、隣の団地の西伊敷小学校の合唱部の皆さんが、すてきなハーモニーを披露してくれた。静かな曲から元気いい曲まで10曲近く、飾り気はないが心に響く、すばらしい歌声を堪能させてもらった。その中には「コスモス」という、知らない歌もあったが、優しい素敵な曲であった。部員が曲紹介で、「コスモスとは、花のコスモスではなくて、“宇宙”という意味です」と言っていたが、あたしゃー、大学二回出た人間だから、Pardon?とは言いませぬ。

そういえば、昔、小室ファミリーが全盛期だったころ、若い看護師が、「グローブって、“地球”って意味なんだよ」と、注射器の準備をしながら、隣の若い看護師に教授していたのを思い出す。そのときも、Pardon?と突っ込みはしなかった。

しかし、あたしも、ひとのことは言えぬ。10数年前、初めて、紀州の梅干しをお歳暮でいただき、そのあまりのおいしさに、さっそく製造元に電話して、「“梅いちばん”ひと箱ください」と言ったら、電話受付の女性に、「“梅いちばん”は会社の名前で、製品は、“黄金漬(こがねづけ)”などのような名前がついているんですけど、“黄金漬”のでよろしかったですか・・・・ふふふ・・」と笑われたのを思い出す。たしかに、パッケージをよく見ると、“黄金漬”と書いてある。ちくしょー、慣れないことをすると、ろくなことはない。「“黄金漬”じゃなくて、“黄金のタレ”でした。さよなら、さよなら、さよなら」って、電話を切ったっけ。あのころ、ぼくも若かった…。最近の子は、「さよなら、さよなら、さよなら」と言っても、わからんヤツもいるかなあ。いったい、学校では何を教えてんだろう。歌ってもわからんヤツもいるかもしれない。もう、おわりだね。

失敬。歳をとると、話にまとまりがなくなる。いずれにしろ、今回の「笑おう会」も、義理堅い、地域住民の方々に喜んでいただけたようで、ほっとしているところである。せっかく来てくださるその方々に、さらに満足していただき、文字通り「腹を抱えて笑ってもらえる」よう、さらに、内容の精度を上げていきたい。次回までは、少し余裕があることだし。

出演者の皆さん、観客の皆さん、スタッフの方々、本当にご苦労様、ありがとうございました!

 

 

7月1日 早くも7月に入る。

早いもので開院して三ヶ月がたつ。この三ヶ月で何をしたか、世の中の役に立つことを、何かひとつでも汝はなしえたかと問われると、小声で「Non」と答えるしかない。

それでもあえて何かひとつあげよと言われれば、「狼のお面をかぶった」ぐらいであろうか(写真参照)。もちろん世の中の役に立つことではない。全世界に向かって胸を張って言えることでもない。中学のわが娘に見せられるものでもない。しかし、見られた。

 さて、第三回「笑おう会」も、先日(6/28)、無事開催できた(医療劇「メタボになった赤ずきん」)。「観客が多くて、席も足りないぐらいであった。会場は熱気でむんむんとし、興奮した客の中には職員の制止を振り切ってステージに駆け上がろうとする者もいた…」ということは全くなかったが、来てくださった方々、手伝ってくれたスタッフの面々には、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 次回は、近くの小学校の子供たちが出演してくれるので、迎える側としても粗相がないように準備していかねばと思っている。

 

6月5日 医療は恋愛と似ている、かもしれない。

 Aさんは、80歳をすこし過ぎた男性。人なつこい、誰にも愛されるような顔立ちだ。Aさん、今日はじめて診察に訪れたのだが、すでに何度かお目にかかっている。健康教室や「笑おう会」に来てくれているのだ。だから、はじめての診察なのだが、「おお」と、なんだか旧友にあった感じ。先方もニコニコしていて、「病気で困って来た」という感じではない。日ごろのひいきにまず礼を言い、「どうされましたか?」と問うと、「三ヶ月続いている痰がなんとかならんかなと思って」と言う。「長びく痰ですか。それは、お安い御用です」と、ひととおり診察して、効くであろう漢方薬を処方した。「ところで」と、横に置いていたバッグを開けながらAさん、「先生のことだから、きっとホームページがあるだろうと思って調べたら、やっぱりありました」と、にっこり。とりだしたのは、当ホームページをプリントアウトしたものだった! なぜ、「先生のことだから」なのかわからないが、この、誰も見てないんじゃないかと思っていたホームページを、見ている人がいるのという事実には驚いた。しかも、ご近所さんが・・・。これは、油断できん。「ほら、この後ろに写ってるのが私です」と、Aさんが写真を指差した。なるほど、たしかに一番目立つところに、写っている。「怒ってないですか? インターネットに自分の写真が出てしまって」と念のため問うと、「なんで怒るんですか」とにっこり。「いやー、最近は、個人情報だとかなんとか言って、うるさく言う人もいるものですから」と言うと、Aさん、手を振ってまた笑った。パソコンは、数年前、趣味ではじめたという。私は、80歳を超える人がパソコンを操る時代に驚いた。そして、このすばらしいAさんが、いつまでも、そう100を超えるまで元気で過ごせるよう、自分にできることはすべてさせていただきたいと、初診なのに、しぜんに思い込んでいる自分がうれしかった。医療は、恋愛に似てるのかもしれない。

 

地元歌姫の美声に皆酔いしれました
地元歌姫の美声に皆酔いしれました

6月1日 第二回「笑おう会」開催さる。

 5/31「笑おう会」が開催された。今回は地元の若手声楽家のK嬢に特別に参加していただいた。一曲目から、その声量・声質に、観客の住民は圧倒され感激している様子であった。曲目も、イタリア歌曲から日本の童謡まで幅広く選んでくれており、その心をふるわす歌声に、聴きながら涙を流すお年寄りもいたぐらいだ。地元にこのような逸材が住んでいるのも不思議でならないが、今後ますます、皆で応援していきたいというムードに包まれた。五月の最後に、感動的な歌声を披露してくれたK嬢、そして、聴きに来てくれた住民の皆さん、本当にありがとうございました。

 

5月28日 頭のよくなる漢方薬。

 昨日は風邪の中学生がやってきた。鼻閉気味で息苦しそうなのだが、訊くと、もともと鼻炎があるという。ひと通りの診察のあと、ツムラ19番小青竜湯(しょうせいりゅうとう)が合いそうだったので、「キミ、漢方飲めるか?」と少年に訊くと、「漢方は苦いから無理じゃないかしら」と、訊かれもしないのに、横で母親が言う。それを無視して、「苦いというより、ちょっと酸っぱい薬だけど、がんばって飲んでみろ。頭もよくなる薬なんだぞ」と、再び少年に言うと、「頭もよくなるんですか? 〇〇ちゃん、飲んでごらん」と、また横から、母親が身を乗り出してくる。少しのためらいのあと、「飲んでみる」と本人もうなずいた。よくぞ、決断してくれた。19番との出会いで、キミの人生は変わる。

19番で、カゼは治るだろう。正直、頭がよくなるとまでは言えない。しかし、鼻炎が治って、集中力が増し、成績が上がることは充分期待できる。

そう、鼻炎の患者に、19番小青竜湯は、成績を上げる名方なのである、と私は信じる。少年よ、いつか、また逢おう。

 

5月24日

 今日は、昼前になり、検診の患者さんなどが来て、急に忙しくなった。レントゲンの能力高く、細部まできれいに写し出されるため、診断しやすい。検診の患者さんを待たせないよう、もう一工夫必要。

2014年5月23日 

 スタッフにせかされ、

 ようやく、ホームページを作成。

 今後、情報を発信していきます。